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 昨日は午後から、滋賀県生活と健康を守る会連合会主催の「生活保護引き下げとは何か」の学習会に参加しました。

 まず始めに、「憲法第14条で法の下の平等(平等権)が謳われ、不平等は許されないとなっている。しかし今「格差」という言葉がよく使われているが、「格差」なら許されてもよいようにとらえられているのではないか。格差も憲法でいう基本的人権の保障という考え方でとらえねばならない。」と言われ、話に引き込まれました。以下、印象に残ったことをつらつらと書きます。

 国は基本的人権を保障すべき立場であるのに、自助、共助、公助論で、国民をだましている。「障害者自立支援法」が4月から「障害者総合支援法」へと名称が変わったけれどどちらも「支援」=応援する法律である。国は「応援」ではなく「保障」すべきであるのに。

 障がい者も生活保護受給者も同じ人間なのになぜ最低限度の生活しか与えられないのか。それは私たちにも彼らに「劣等処遇意識」を持っているからではないか。劣っているから処遇も劣っていていい・・・例えば保護費削減に反論するとき「パソコンが激安になったからと保護費を削られても生活保護の人にとってパソコンは関係ない」などと言っているとすれば、それはすでに、彼らはパソコンを持っていないという劣等処遇意識を持っている発言であるってこと。
 社会保障、生活保護の水準引き上げの歴史はこの意識を克服していく歴史である。すなわち最低限ではなく他の人と同じレベルへと発展させてきた。国際障害者年のスローガンは「完全参加と平等」。これは他の人と同等の生活ができる権利を保障しようという意味である。これを保障するために国がある。

 先日、成年後見人制度を受けると選挙権がなくなるとことは違憲だという判決が出た。人権を支えるのが国や自治体の役目だから「政治参加」を保障するのは当然のことという判決。なのに今、運動会などの行事に参加する「社会参加」という言葉でだまされている。

「平等」は思想闘争ではなく、憲法第14条の人権保障で謳われている。だから人権として生活保護、社会保障も考えていかねばならない。

ってとこですか。最後は「生存権裁判を支援する滋賀の会」を結成しようとなりました。

      生保学習会
             なかなかユニークな先生でした!
2013.04.07 Sun l かけある記 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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